平屋タイプを選択した別荘空間




 
左:寝室。隣の部屋とを仕切る引戸を開ければ、大きな空間が現れる。
右:独立したキッチンは思ったより広い

ダミー画像

 奥様の「星を見ながらお風呂に入れ たら素敵でしょうね」の一言で実現した露天風呂。当の本人は結局1回しか使わなかったが、ご主人は大のお気に入り。「友人が訪ねてくると、必ず勧めます」と笑う

田舎暮しのきっかけは小学時代の疎開生活

 「田舎暮しを始めたきっかけですか…」 そう呟いて、竹原さんはフト遠くを見つめた。 「古い話で恐縮ですが、戦中の疎開体験にまで遡るんですよ」今年71歳を迎えた関西出身の竹原晃さんは、小学校4年のとき岐阜と長野の県境にある農村に疎開した。そこでの生活が忘れら れず、「いつかは田舎暮らしをしたい」と思っていたのだという。「疎開というと暗いイメージで語られがちですが、私の場合はまった くそんなことはなかった。もちろん惨めな体験をした人もいるのは知っていますが、根が楽天的なんですかね、振り返れば私の疎開 先での毎日は楽しいものでしたね。そのままそこに居着いてもいいとさえ思うほどでした」と話しながら、遠い記憶を確かめるかの ように目を細める。「農繁期には農家の仕事を手伝ったり、農閑期には友だちと田んぼの畦道を走り回ったり…」戦争が終わり地元に 戻った竹原さんは、やがて東京の大学に入学。そして就職。
 40年近いサラリーマン生活で、高度成長期もオイルショックも、そしてバブル崩壊もその目で見てきた世代。まさに企業戦士とし て常に第一線で働いてきた。その間、東京から関西へ転勤。そしてまた東京へ。そして最後の勤務地が千葉だったことが、竹原さん の運命を大きく変えることに。「仕事をしていても、いつも心の片隅には『年をとったら田舎で自給自足をしたい』という想いがあり ましたね。だから、最後が千葉勤務だったのは幸運でした」そう話す竹原さんのかたわらで、奥様の篤枝さんは穏やかな笑みを浮かべてうなずく。
 「私も疎開組みなんです。でも主人とは違い、あまりいい思い出はありません(笑)。正直なところ『田舎はイヤだな』って思っていま した。でも主人と長いこと都会生活を送っているうちに田舎暮しもいいかもしれないと思うようになりましたけど…」と話す奥様。

あわてて土地を探しそして念願のログ建設へ

 奥様と違いアウトドアスポーツが大好きな竹原さん。ゴルフに出かけた先でときどき目にするログハウスに興味を惹かれ、やがて「 ログハウスに住みたい」という気持ちが強くなった。「定年後嘱託で会社に残ったんですが、あと1年で辞めようと考えていたとき雑 誌で南千葉にあるログハウスメーカーの広告を見て問い合わせしたんです」と竹原さん。そのメーカーが、ここ竹原邸を手がけたT ALOだった。「その時点で土地さえ持っていませんでした。だからメーカーの担当者から『建てるなら土地がいりますよ』と言われ、 あわてて土地を探し始めたんです。  担当者に何カ所か連れて行ってもらったうちの1カ所がここ。まだ開発されていなかったけど、『竹原さんが買うなら造成しますよ』 って業者が言うもんだから、一番見晴しのいいところを買ってしまおうと、200坪を購入しました。そのときはまだ竹やぶでしたけど ね」ところが現在では、竹原邸以外に2棟のログハウスを含むミニ別荘地になっている。  竹原さんがログハウスを選んだ背景には、いくつかの理由があった。その一つは「木の家に住みたい」ということ、そして何度か訪 れたことのある北欧でマシンカット・ログハウスを多く見かけて興味を持ったからだ。「TALOさんを選んだのは、ねじれに強いと言 われるラミネート材を使っている点と、私の考えていた予算内で建築が可能だったからです。平屋を選んだのは、そのほうが落ち着 くと思ったし、使うのは夫婦二人ですから、広い必要がなかったからです」と説明する竹原さんの言葉を補足するように、  「年を取ってくると、どうしても2階との行き来がおっくうになりますから」と奥様。狭くても十分と言う背景には、自宅が千葉市内にあり、ここを別荘として使うからということもあった。それでも月のうち6割はここ で過ごすと言う竹原さん。奥様は、ふだんは自宅にいて、ときどきここに顔を出す程度だとか。「ここを使い始めて6年が経過しまし たが、いまでも木の香りがしますね。外壁の再塗装は2年に1回の割で行っていますし、セトリングは6年間で5センチほど。  住み心地は今も快適ですよ。防寒対策も万全だし。気になったのは、台風のときに窓から横なぐりの雨が浸入してくるのではないか という心配。でも窓の上に小さな庇を設けたら、それもなくなりました」と話す。 最近では山の生活に、釣りという趣味が加わって大忙しと竹原さんでした。





このページの先頭へ